メンバーが語る再始動。 天命は下った。 果てなき旅路を、BOUNDは走り続ける!
2013年に奇跡の再始動。 本拠地京都でのライブに続き、2015年10月には縁の深い待望の東京・高円寺JIROKICHIでのライブが予定されています。 そこで今まさに走り始めたBOUNDのメンバーに、今この時のBOUNDの魅力を語っていただきました。 ライヴ予定はこちらをご覧ください。
************************************** ◆ゴンベ岸田(g)
――BOUND再始動への思いとご自身で考えるBOUNDの魅力は?
●懐かしの再編成ではなくて、再出発ですね。
やり残してきたこともあるだろうし、開拓すべきこともあるでしょうから、先は広々としてると思います。
BOUNDの魅力は、ま、何と言っても古田のヴォーカル。それと合わさってバンド全体の音楽が溶け合ってるところ。
具体的にはやっぱり弾けるリズムです。
――昔のBOUND時代のエピソードを教えてください。
うーん、難しいっすね。
結構よく練習したなぁ。
いろいろな音楽を聞いて、取り入れたら面白そうなところはすぐに取り入れる、みたいな感じで、
ギターバンドやけど、結構広いジャンルをカバーしようとしてたように思います。今もその姿勢は変わらず。
――今回の東京ライブへの豊富をお願いします。
まずは生きている BOUND をお見せしたいですね。
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◆高木 親(t.sax)
――BOUND再結成への思いを教えてください。 まだやり残した事があるので。 人生は片道切符、 憬れの土地が本当にあるのなら、途中下車無しで終点に向かいたい。
昔のBOUND時代のエピソードですか・・・・・・いつも酔っぱらっていたのであまり記憶がありません。
――ご自身ではBOUNDのどこが魅力だと思いますか。 人工甘味料で薄められたような音楽にロックのラベルを貼ったもの、オタクが、閉鎖されたコミュニティー内だけで満足しているもの、ただラウドなものがロックだと勘違いしたもの、機械的(いろんな意味で)に作られたもの。 そのような音楽ばかりが氾濫するなか、 本当のソウルが込められたロックに魅力を感じてもらえるのだと思います。
――今回の東京ライブへの豊富をお願いします。 リアルなバンドを感じてもらいたい。
************************************** ネッシー木村(dr)
――バウンド再結成の思いを教えてください。
天から下った使命なので死ぬまでやる。
――かつてのBOUNDのエピソードがあれば教えていただけますか。
◎古田くん
結成当初は、よく至近距離からバドミントンをした。
ライブ前によく銭湯に一緒に行った。
複数の女性と付き合っていた・・・・・・ようだ??!
京都時代、自家用軽車両をよくぶつけていたいた・・・・・ようだ??
◎ごんべさん
京都時代、ライヴで柔道着(上だけ、帯は白)を着ておられた記憶がある、下はジーパン。
失礼な事を言い過ぎて、こっぴどく御叱りうけたことが多々あります。
◎高木くん
いつメンバーになったのか?私には分かりませんでした。
眠ったら蝿にたかられる様です。
東京時代はちょくちょく失踪していました。
ミキシングデスクの下で眠るのがお好きのようでした。
東京合宿時代、冷蔵庫内の茹で玉子に「高木」と記載していました。
――ネッシーさんが考える、そんなBOUNDの魅力とは?
メンバー全員足が長く無いので親近感を持ってもらえる?
メンバーの中には毛根が極めて少ない方もいらっしゃいます(上記同)
古田くんがライヴで今でも跳ぶところ!
古田くんが複数の女性とのお付き合いを断ったところ!
――東京でのライヴへの豊富をお願いします。
お客様に喜んで頂けるよう精神誠意をつくします。
************************************** 森 扇背(b)
――再始動後から加入された森さんから見たBOUNDの魅力は?
BOUNDには “ バンド ” を感じる。
ユニットやセッションと、バンドの線びきが曖昧稀薄なる昨今、
小生が音楽を始めた時分に憧れ標榜しておったところの “ バンド ” の香りがする。
そう云ったことも相俟って、演りがいがあり、かつ重責であるなぁ、と思っています。
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古田光郷(vo.g)
――再結成への思いをお願いします。
自分が育ち学んだ家に久しぶりに帰ってきたような感覚。
バンドの音楽が枯渇してなかったので、永い中断を経て続編が始動したという感じです。
2013年、再結成Liveのためのリハーサルに、25年ぶりに集まり、
1曲めの音が一斉に出た途端、2小節目くらいで「やっぱりこれや!」と、確信を得ました。
当初、1回っ切りの再結成の予定でしたが、その日のリハ終了後には、
2014年以降も活動を続けていくことを全員一致で決めました。
しかし、やるからには、新しい音楽を生み出し、更なる成長を遂げてゆきたいです。
BOUNDは、曲を作る私にとって、自由に大きなイメージを湧かせてくれるバンドなので、
今後がとても楽しみです。
既に手中には、手付かずの曲が沢山貯まっており、困っているくらいです。
今後は、正直に自分たちが「良い!」と思えるSoulのあるRock musicを、
時間が許す限り、このメンバーで作り、演奏し続けていきたいと思っています。
――BOUNDはどんなバンドだったのか。かつてのエピソードをいくつか教えてください。
Liveを観た人から「元気なバンドだね」とよく言われました。
バンドの音がパワフルだったこともありますが、
よく私が、ステージ上で、跳んだり回転したり、倒れこんだりしていたので、
「体操部の出身ですか?」と聞かれたことも数度あります(笑)
夏のLiveでは、靴の中の足の裏まで汗びっしょりになったことがありました。
当時、バンドのLiveとはそういうものだと勝手に思っていました。
私自身、歌うほどに熱くなっていく、興奮症の傾向があったようです。
当時、ギターのゴンベさんは、岩倉でレコード屋さんを営んでおり、
彼がより選った新譜(Rock、Soul、Reggae etc・・・を、店でカセット・テープに録音してくれて、
メンバーに配布してくれたこともよくありました。
ちょうど、時代はworld musicに火が点き始めた頃ということもあり、
初期のP-Vine specialから発売された、アフリカものやSka、Rock Steadyも沢山聴かせてくれました。
私個人としては、当時、毎月のように発売された、Southern soulのレコードをゴンベさんの店でたくさん買いましたね。
お金がないときは、取り置きしておいてもらいました。
――転機となったのは? 1986年、東京に拠点を移しメジャー・デビューして、プロモーションのために色んな街に行きましたが、その前の、京都時代から、ハイエースに機材を全部積み込んで、全国各地をツアーしていました。
初めて奄美大島へ行ったのが1984年頃だったと思いますが、
友人たちの力添えで、公民館でBOUNDのコンサートを開いてもらったとき、若者よりも、お年寄りたちが先に立って踊り出したのが印象的でした。
あのツアーでバンドの音が一気に塊のようなものになり、
後のBOUNDのポジティブな音楽性の確信を得たような記憶があります。
――よく練習もしたとか?
練習はよくしました。週2回、京大の謎のBOXで深夜まで。
京大界隈には民家がないので、同じ曲を納得するまで繰り返し何時まででも。
私が原曲を持ち込むのですが、メンバーから自然に意見や感想、対案が出て、
結局、私が想定していたリズムやグルーヴと全然違う仕上がりになった曲も沢山ありました。
その過程が、毎回、滅茶苦茶スリリングでとても楽しかったです。
――京都での再始動ライブには、東京からもたくさんのファンが駆けつけたそうです。古田さんが
考えるBOUNDの魅力とは?
もしかしたら、東京には、BOUNDのようなバンドがないからかも知れませんね。
今思うと、京都には当時から、他にもたくさんのバンドはありましたが、他のバンドにはあまり興味がありませんでした。
他と自分たちを比較することもなかったし、聴きに行くこともほとんどありませんでした。
自分たちBOUND(の音楽)を、これからどうやっていくのか、ということにしか興味がなかったのかもしれません。
これからも個々が個性的でありながらも、共に生々しい音楽を作っているバンドでありたいし、
私が大好きなBlack music やRock musicのように、人間臭さが音楽に反映されているバンドでありたいです。
――最後に今回の東京ライブへの豊富をお願いします!
私個人としては、2013年2月にJirokichiで企画してもらった私の壮行会Live、
同年5月の松本照夫さんの還暦Live以来のJirokichi出演なのですが、
BOUNDとして出演するのは、多分、27年ぶりになると思うので特別な想いもあります。
未だBOUNDを知らない多くの東京のお客さん、音楽を愛する多くの人たちに、
人間臭さ満載のBOUNDのLiveを大いに楽しんで欲しいです。